屯田兵の廃止
 
後期屯田の実施時には、既に北海道の開拓が相当に進展しており、大規模な入植に適した土地が少なくなっていました。
この頃、北海道の人口は徴兵制で兵士を集めることが可能な水準に達しつつあり、第七師団創設につながっていきました。
 
新たな入植は明治32年(1899年)の上川、士別で終わり彼らが後備役に入った明治37年(1904年)に屯田兵制度が廃止されました。