団体成立の顛末
明治22年吉野川洪水の為家財を無くしこれを救済する方法として内務省奈良県庁等保護の元に罹災民600余戸を石狩国樺戸郡新十津川村に移住せしめたり。
この移民は移住後年月を経ると共に広大なる一村を形成し相当の生計を営むに至りしその後これを頼りて年々移住するもの少なからず特に近年十津川村では森林濫伐の結果労働の需要減少しまた山林の共同株を所有する者もその配当利益少なくして漸次生計の困難をきたした。
先住者の成功を聞き移住を希望する者多きにいたりしを以って個々移住するより団体移住を利ありとし町村役場郡役所らが保護斡旋して遂に郡民500余戸の大団体を組織するに至れり。
移住地選定の為郡書記1名および団体総代人2名を北海道に派遣し道庁と交渉の後石狩国新十津川村の5原野および天塩国士別原野にて700余万坪の存置許可を得たり本団体はすなわち其の士別原野に移住したる1団なり。