新十津川町「金滴酒造」のはじまり

滝川市の市街地から国道451号で石狩川を渡った交差点に「金滴酒造株式会社」があります。

明治23年の春、橋はなく十津川移民団は渡り船で何往復もしたところです。
この橋は石狩川で最初に架けられた本格的な「石狩川橋」で新十津川民の自慢のひとつでした。

創業明治39年以来、金滴酒造はすぐ近くを流れる徳富川(とっぷがわ)の伏流水で、地元産の米を、そこに住む人々が醸し、まさに地酒をつくりました。

明治22年12月、滝川の屯田兵舎で「七か条誓約書」を交わします。

境遇の急転・気候の激変により不安の念に駆られ、目前のことに気を取られる者がでていました。
事態を憂い、一致団結を強調、風紀の粛清を呼びかけ且つ基本財産蓄積を確定し、各戸主に署名捺印させ誓うものでした。

 「七か条誓約書」の概略

第一条 移住者同士しか頼れるものがない。新村の隆盛と勤王の由緒相続を目指
    そう

第二条 政府から破格の恩賜を受けたのだから五千坪の土地を開墾するまでは他
    の仕事に
従事してはいけない。

第三条  共有金は新村の基本財産となし、各自に消費すべきものではない。

第四条  倹約に努め以下の各項を堅く守ること

      ・家屋の構造は質素堅牢のものとし一切の装飾は施さないこと

      ・会席・酒宴は行ってはならない

      ・衣服はなるべく木綿のものを用いること

第五条 学校を設立し児童を就学させること

第六条 風儀を乱し世間の笑いを受けることがないようにお互い慎みあうこと

第七条 以上の項目に背くものがある時は注意・訓戒し、改善の見込みがない
    場
合は米や金の支給を減らし、それでも治らなければ村中からの交友を
    絶たざるを得ない

16年後、田畑の収穫もある程度豊かになり酒を飲んでも良いこととなりました。この時に『俺達の呑む酒は俺達で造ろうではないか』という発案により、明治39年『新十津川酒造株式会社』を設立し金滴酒造が誕生しました。

現在も酒屋さんに行けば並んでいます。
ネットでも購入できます。