道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われてしまった町や村の風景です。ネットに載せることはできませんので感想を含めて紹介します。

尚、このCDは現在「北海道立図書館北方資料室」にあります。
私が借りた時は「北海道立文書館」でしたが変わりました。

 

浦河町 1966年 25分 白黒 音声あり 

この映像は浦河町の企画で札幌テレビ放送が撮影したものです。昭和41年に北海道内にテレビ放送されました。当時の浦河町の春から秋までが撮影されており、町の様子が良くわかります。今はない産業などもありますし、漁業の最盛期とも思える風景が映っています。

うらかわ町名の由来は様々で、アイヌ語のウラㇻペッ(霧・川)、腸を指す「オラカ」「ウラカ」といった説もあります。明治4年、開拓使の招募移民があり肥前国(長崎県)から24戸74人が西舎村に、肥後国(熊本県)天草郡から21戸95人が杵臼村に入地した町です。しかし、町の映像では開拓者のことが紹介されていないのが残念でした。

サラブレットの町

五冠馬シンザン

明治40年、日高種馬牧場が設置され、大正期からサラブレッドを育てます。
「五冠馬シンザン」を育てた町で、引退したシンザンが映されているので競馬のファンは必見でしょう。

シンザンは、戦後の日本競馬を代表する競走馬で、1964年の日本クラシック三冠馬。この三冠に加えて、翌1965年にも天皇賞(秋)および有馬記念で優勝したため、日本の競馬史上初めて「五冠馬」の称号を与えられました。この映像は1966年なので次の年になります。

浦河港
江戸時代から浦河場所が開かれていた町で、豊かな海産物に恵まれていました。明治20年~大正9年に浦河港の湾岸調査を経て、大正10年着工し昭和5年完成し本格的に漁業の町としてスタートします。
浦河湾には330隻の漁船があり昭和29年に「浦河漁業研究会」がはじまります。
昭和31年から一匹狼の海の男ではなく、集団漁業とチームで漁業を行う体制を作るユニークな町です。
コンブ漁は昨年(昭和40年)の売り上げは8000万円でしたが、今年は200トンで6000万円と減少しました。
このコンブも研究会の結果なのでしょう。コンブ乾燥機を導入しています。

港まつり(4回目)
市街地を通る235号を中心に、子どもたちのプラスバンド、主婦の踊りに続き、海上保安巡視船も参加し盛大なパレードです。「一日船長」「ミス保安」など、イベントは盛りだくさんで三日間続きます。
最後が「地域対抗の磯船競争」、これが海の町らしい最大のイベントでした。

道路の開削
昭和40年に道路法改正で国道236号として指定施行されましたが、浦河から十勝の大樹町に抜ける道路となり「天馬街道」が開通するのは1997年(平成9年)のことです。

観光の紹介
日高と十勝を結ぶ国道236号沿いにあるオロマップ展望台が紹介されています。当時の道は途中までしか開削されていません。
今は、天馬街道となり便利になりましたが、当時も観光のキャンプ場として人気があったのでしょう。天気の良い日は海まで見渡せ、眼下に広がる牧場風景が広がります。

半世紀前の浦河の自然が映像として残されております。