明治4年<本願寺道路(現在の国道230号の基礎)>
写真は、現在の国道230号線の中山峠にある現如上人の銅像です。
札幌から向かうと左手になりますが、峠を越えてすぐなので気を付けて見ていないと見落としてしまいます。
本願寺道路が作られた経路は、明治2年に札幌に北海道の本府を置くことが決
まると、ロシアの南下政策の脅威に対抗するため、大量の移民入植が必要でした。
そのためには箱館から札幌へのルート開拓は急務とされました。
このとき財政難の明治政府は、徳川家の恩顧であった東本願寺を動かして道路開削を出願させます。
現在の国道230号は、札幌市を起点とし、久遠郡せたな町を終点とする208.2kmの一般国道となっていますが、当時のルートは伊達市から洞爺湖沿岸を経た後に現在の230号線ルートに入り、旧平岸村へ至る街道でした。
明治3年、東本願寺代表現如らによる北海道開拓活動として伊達~札幌を直結する通称「本願寺道路」の開削工事を開始。
工事の労働には僧侶のほか、士族と平民の移民、アイヌが従事し約103kmの道路を開削し一年余で完成させます。
この経緯については下記に詳しく書いています。