開拓使時代の政策 (明治2年8月~明治15年2月)

写真は札幌の大通公園にある「黒田清隆」像です。

開拓使が作られたのは明治2年8月のことで、以来明治15年2月までをいいます。
この間の長官・次官を務めた人物と年次ごとの政策などをまとめてありますので確認ください。

 

開拓長官と次官

期      間

開拓長官

開拓次官

明治2年(1869年)7月8日 – 7月13日

明治2年(1869年)7月13日 – 8月24日

島直正

明治2年(1869年)7月24日 – 8月25日

清水谷公考

明治2年(1869年)8月25日 – 9月13日

東久世通禧

明治2年(1869年)9月13日 – 明治3年(1870年)5月9日

明治3年(1870年)5月9日 – 明治4年(1871年)10月

黒田清隆

明治4年(1871年)10月 – 明治7年(1874年)8月

明治7年(1874年)8月 – 明治15年(1882年)2月

黒田清隆

明治15年(1882年)2月 – 明治15年(1882年)3月

西郷従道

年度

移民政策

土地政策

移民(送出地⇒入植地)

明治2年

移民扶助規則

(6千坪の未開地と共に家屋、家具、農具など支給・3年は米と塩噌料が与えられる)

 

太政官布告

(第734・蝦夷地自今北海道ト被称十一箇国ニ分割国名郡名別紙之通被仰出候)

北海道分領支配

(明治2~4年)

開拓使による募移民

 

 

 

 

 

北海道分領支配制度

(自費開拓)

東京

樺太

明治3年

東地御親料規則

移民規則

 

開拓使による募移民

魚場持による募移民

開拓使産物掛による募移民

仙台藩による移民

斗南藩による移民

伊達邦成家中

片倉邦憲家中

石川邦光家中

越後

奥羽

能登

仙台

津軽

亘理

白石

角田

札幌

根室

野付

沙流

瀬棚

有珠

幌別

室蘭

明治4年

 

廃藩置県

(封建的土地支配関係が廃止,全道が開拓使の所管となった)

永住人拝借地被下方達書

(北海道に本籍を移した永住人は宅地の所有権を認め,耕地の永代使用収益権の確認を行った)

彦根藩による移民

佐賀藩による移民

伊達邦直家中

会津降伏人

稲田邦植家中

開拓使による募移民

開拓使による募移民

彦根

佐賀

岩出山

東京

洲本

奥羽

長崎

沙流

釧路

石狩

余市

静内

――

浦河

明治5年

移民扶助規則改正

地所規則

・北海道土地売貸規則

(従来の拝借地は無償で私有地,既に私有する土地は処分売買可)

開拓使による募移民

鹿児島

室蘭

明治6年

召募移住略則

 

 

 

 

明治7年

移住農民給与更正規則

開拓使屯田兵例則

 

 

 

 

明治8年

 

 

屯田兵入植(第一回)

奥羽

琴似

明治9年

 

 

屯田兵入植

奥羽

発寒

明治10年

 

北海道地券発行条例(土地の所有権を認めた地券を発行)

 

 

 

明治11年

 

 

尾張徳川家による移民

農社「共同社」による移民

屯田兵入植

愛知

岩手

山越

檜山

江別

明治12年

北海道送籍移住者渡航手続(渡航無料)

 

伊達邦直家中後続移民

阿波国三郡の団体

岩出山

徳島

石狩

余市

明治13年

 

 

伊達邦成家中後続移民

「開進社」による移民

石川邦光家中後続移民

亘理

角田

有珠

亀田

室蘭

明治14年

 

 

牧畜社による移民

大阪府からの移民

長州毛利家による移民

肥前鍋島家による移民

福岡県からの移民

屯田兵入植

大阪

山口

佐賀

福島

上磯

室蘭

余市

石狩

札幌

篠津