番外編6<内地の開墾奨励>
写真は静岡藩の旧幕臣による牧之原の開墾の茶畑
明治に入ってから士族授産による開墾奨励は、北海道の移住・開拓と内地の殖民・開墾に分けられます。
さらに内地の殖民・開拓は政府による国営事業と、一般士族に土地や資金を貸与して移住開墾を奨励したケースに分けられます。
北海道開拓を書いてきましたが、内地の開墾奨励策は下記でした。
開墾にあたっては、山林・原野など官有荒蕪地の払下げ、貸下げという形で行われました。家禄奉還と引き換えに払下げられた土地8万5千ha以外にも、明治4年から同17年までに、払下げ7,179ha、貸下げ13,576ha、延べ1万9千人の士族が対象になったといいます。
内地における開墾事業をあげると
・静岡藩の旧幕臣による牧之原の開墾(明治2年)
・佐倉藩士族の結社同協社による千葉県印旛郡の開墾(明治4年)
・鶴岡藩士族による山形県松ヶ岡の開墾(同5年)
・福島県士族が設立した開成社による安積郡桑野村開墾(同6年)
・静岡県士族による三方原の開墾(同9年)
・仙台藩士族の結社興業社による宮城県牡鹿原の開墾(同11年)
・岡山藩士族の結社伊木社による児島湾の干拓(同11年)
・久保田藩(秋田県)士族の結社秋成社の開墾事業(同12年)
・鳥取藩士族の結社による夜見ヶ浜の開墾(同12年)
・桑名藩士族の結社共立社による三重県明野ヶ原の開墾(同13年)
・上ノ山藩(山形県)士族による見ル目・牧野原野の開墾(同13年)
・栃木県の士族結社共墾社による那須原野の開墾(同15年)
・菊間藩(千葉県)士族による千葉県市原郡能満の開墾(同17年)
・土浦藩(茨城県)士族による新治郡三村の開墾(同17年)
明治12年以後、士族授産金の貸下げ制度が設けられますが、とりわけ開墾や牧畜事業に関しては有利な条件がつけられたため、あちこちで小規模な士族結社による開墾事業がなされました。