明治36年<東海丸の遭難>
<東海丸の遭難> | ||||||
明治36年10月29日、日本郵船株式会社の東海丸が、津軽海峡の定期連絡航行中 久田船長は船首から乗組員一同を指揮し、先づ船客を救出し、次いで船員の安全なのを見届けると、船長一人は沈み行く東海丸から一歩も離れようとせず、43歳を一期にその責任を全うして果てました。 この事件は美談として尋常小学新読本巻十に掲載され、彼の郷里の菅原神社境内(石川県鳳珠郡能登町鵜川)には久田船長記念碑が建立されました。 |
明治36年<東海丸の遭難>
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明治36年10月29日、日本郵船株式会社の東海丸が、津軽海峡の定期連絡航行中 久田船長は船首から乗組員一同を指揮し、先づ船客を救出し、次いで船員の安全なのを見届けると、船長一人は沈み行く東海丸から一歩も離れようとせず、43歳を一期にその責任を全うして果てました。 この事件は美談として尋常小学新読本巻十に掲載され、彼の郷里の菅原神社境内(石川県鳳珠郡能登町鵜川)には久田船長記念碑が建立されました。 |