なかよし動物園(栗山町)

1万2千人の町に小さな・小さな動物園があります。旭山動物園や円山動物園は入園料値上げしますが、ここは開園以来無料です。人気動物園のように観光客はおりませんが、年間5万人を超えるというので町民一人あたり4回来園していることになります。
夕張山脈の御大師山裾野に広がる栗山公園の斜面を利用した手作りの温かみがあります。土日になるとニンジンが入ったバケツが100円で売られ、ヤギやウサギ、ポニーに小さな手が伸びます。水鳥にはエサのガチャがあり、流しそうめんのような「餌やりシューター」が設置。運が良ければ孔雀が羽を広げるところを見ることもできます。お猿さんも二匹おり、全部で20種類ほどの動物園です。

入口に「栗山公園さんへ 夢は正夢 栗山秀樹」 日本ハム監督の色紙が掲げられています。

栗山町に根付いた伝統があります

札幌から国道274号で北広島市→長沼町を横断し夕張川を渡ると北海道最古の蔵元「小林酒造」(北の錦)、日本一の起備団合「谷田製菓」があります。岩見沢からの室蘭本線ガード下をくぐり、国道234号を右折すると「なかよし動物園」がある栗山公園で1時間ほどのドライブです。

栗山町は新千歳空港や港湾苫小牧市にも約1時間。町役場のホームページを見ると『積み重ねられた歴史と先人の夢をつなぎ、次世代に誇れるまちを築いていくため、まちづくりの合言葉を「ふるさとは栗山です」とし、いつまでも住み続けたいと思えるまちづくりを進めています』とありました。

どこにでもありそうなスローガンですが、栗山町は「有志の伝統」が受け継がれている町でもあります。

栗の樹ファーム

栗山公園の中央に「栗山監督応援花壇」という小さな花畑があります。
これは日本ハムが白星を一つ上げるごとに、白い花が植えられます。試合内容を記載した小さなプレートも張り付けています。

栗山英樹と栗山町との関係は監督就任以前からでした。町内の有志が、町名と名字が同じことからアプローチし、交流が始まったといいます。2011年、日本ハム監督に就任後、栗山町に生活の拠点を移し、2015年からは自宅も栗山町に移しました。
そうして、自宅近くに「栗の樹ファーム」つくります(栗山公園の近く)。天然芝の野球場と自ら集めたコレクションを誰でも見ることができるログハウスを作りました。大谷やイチロー選手をはじめ日米の名プレーヤーが使ったバットやユニホーム、サインボールなど、ファン必見の野球グッズ約2,000点を展示。
グローブも用意され、誰でも気軽にキャッチボールが楽しめ、全面天然芝の球場は無料で利用できます。 

 坂本九 思い出記念館

昭和60年8月12日、羽田発、伊丹行の日本航空が御巣鷹に墜落。

坂本九はSTVの「ふれあい広場サンデー」で、福祉番組「サンデー九」を毎週放映していました。全道の障碍施設を訪れる番組で、栗山ハロー学園がバンド出演したことで交流が続いていました。最後の録画撮りで現在のハローENJOYを訪れており462回の放映でした。栗山有志の賛同と協力で記念館(建築費は3000万)が建てられたのは五年後でした。土地の提供は常正寺住職で境内と聞いたことがあります。写真は開業当時のものですが、入口の九の字は25年も経っているので危険のため取り外したといいます。この記念館も入場無料ですが訪れる人の寄付で運営されています。

坂本九の歌が流れ、生前の記録が園内一杯に展示されています。久しぶりに訪れたのですが、相変わらず人が途絶えることはありませんでした。小樽の石原裕次郎記念館は、取り壊されて平地になっていたのと比べると不思議な気がします。

(記念館は国道234号と道道3号の交差点から夕張方面に入り、右手に入る道に看板が見えてきます)

有志の始まりは角田藩士たち

角田藩(藩主石川邦光・2万1300石)は戊辰戦争後領地を没収され北海道開拓の申請をします。明治3年、胆振国室蘭郡が指定の地でした。重臣添田竜吉と弟・泉麟太郎が率いる第一陣(44戸51人)が室蘭に到着。しかし、農作には不適の土地。泉麟太郎は実兄の添田竜吉を助け、出稼ぎをしながら明治21年まで室蘭市の基礎を築き、移住者を呼び寄せます。自分たちは新天地を求めて、夕張に開拓に入りました。兄が室蘭の開祖、弟が栗山の開祖となります。

明治21年、 泉麟太郎が「夕張開墾起業組合」を設立し、有志7戸24人で現在の栗山町のほぼ真ん中、阿野呂川に入植しました。宮城県角田藩士で、国道234号(由仁国道)から夕張に入る道道3号の交差点一帯は角田という地名が残っています。その近くに「開拓記念館・泉記念館」(左の写真)と隣接して泉麟太郎の屋敷(1898年築)が保存されています。

麟太郎が夕張川に巨大な灌漑工事を思いつくのは、角田市と阿武隈川の関係を描いていたのではないかと推察されています。ここで、開拓使によってご法度とされていたイネ作りを始めます。明治26年、水田を試作して成功。

明治29年代に入ると、各地から米作の成功がつぎつぎと伝えられ、この地を水田地帯に生まれかわらせようと「造田ブーム」が巻き起こりました。

明治33年の角田村の戸口が1,200戸、5,000人を突破。この余勢をかつて隣接する長沼、幌向などにも角田藩の人脈が流れこんでいきます。

町役場境内に3人の銅像が建立されています。泉麟太郎、小林米三郎(二代目小林酒造・参議院議員)、松原賦吉(道内木材業界の雄・栗山育英資金創設)。更に碑や史跡がいたるところに建てられています。
角田村が「栗山町」と改称されるのは昭和24年。

栗山天満宮秋季例大祭

毎年9月24日から26日の3日間行われる秋祭りが、栗山町の特徴を良く現しています。北海道で一番遅い祭りになるため露店数が道内最大となります。
栗山公園近くにある栗山天満宮から続く参道と市街地の端から端まで、露天商・地元露店、更に商店も加わり祭り一色となります。この祭りに近隣から20万人近くの人が訪れます。

久しぶりに「これが祭りだ」を見ることができます。露店の人に「どれくらい店があるのですか」と聞いてみると、「正確な数字はわかりませんが、昔は千店ありました。今は半分以下だと思います」とのことでした。それにしても多い。

小さな町に懐かしいオートバイサーカスまで来ています。奉納親子獅子舞、御神輿渡御、奉納弓道、くりやま味覚まつりなどなど飽きることがありません。夜も遅くまで屋台は繁盛すると思いました。

栗山天満宮に参拝に行くと、お賽銭箱の両側に盃を積み重ね「お神酒」を持っているではありませんか。恐らくお神酒は「北の錦」でしょう。私は飲みませんでしたが盃にたっぷりと注ぎます。

道南江差町の祭りには故郷を離れた人たちが帰ってくるといわれます。栗山町も帰る人はいると思いますが、江差は北海道最古の姥神大神宮祭りなので比較をするのは難しいでしょう。

祭りを運営している栗山商工会有志の継続する伝統のたまものと思いました。素晴らしい町です。