北海道初の特急「おおぞら」

「特急おおぞら」は私たちの世代には懐かしい列車です。

小樽廻りの「急行宗谷」で函館まで10時間。夜中の青函連絡船で3時間50分。青森から上野までは「急行八甲田」で11時間。10時30分に士別駅を出発して上野駅に着いたのは翌日の夕方4時30分でした。(30時間)

それが大学に行くようになると、旭川から特急おおぞら~青函連絡船~、青森からは「特急はつかり」が待っており10時間ほど短縮されました。ところが、この人気特急で帰省するには「上野駅の地下」で一晩行列に並ぶ必要がありました。

私たちの世代には、「津軽海峡冬景色」や「函館の女」などは、遠い遠い「ふるさと」に帰る心情そのものでした。

北海道の廃線(旧千歳線)

●特急「おおぞら」は特急列車として昭和36年に誕生しました。運転区間は函館~室蘭本線・千歳線経由~旭川で、経路が山線(函館本線・小樽駅経由)から、海線(室蘭本線・千歳線経由)へ大きく転換された列車です。

●急行宗谷は戦後初の宗谷線昼行急行で、最盛期は函館〜稚内間、約600kmを半日かけて駆け抜ける宗谷本線の看板列車です。飛行機が庶民の乗り物になるのはまだまだ後のことで、雲の上の乗り物でした。

◎東北初の特急「はつかり」は昭和32年の誕生で、特急「おおぞら」と連携することで東京が近くなりました。◎「はつかり」は平成14年に姿を消し、「おおぞら」は「スーパーおおぞら」の名称で札幌~釧路間を走っています。急行宗谷は、札幌~稚内間を特別急行列車となり、名寄~稚内間が廃止の危機を迎えています。

戦前から、札幌と函館方面を結ぶ路線は、札幌~小樽・倶知安経由の函館本線が幹線鉄道でした。これは、千歳線の路盤の軟弱さや、急曲線を擁する苗穂駅~北広島駅間の線形の悪さがありました。しかし、小樽駅~長万部駅間の「山線」は急勾配のためスピードが出ませんでした。

これに比べて平坦な室蘭本線の沼ノ端駅(苫小牧)~長万部駅間とこれに接続する千歳線区間の「海線」は、距離的には迂回し長くなりますがスピードがでるので、戦前から路線の改良を繰り返していました。

千歳線の前身は大正15年の北海道鉄道札幌線で昭和18年に国有化します。室蘭本線が石炭輸送でつくられた鉄道で、室蘭の太平洋岸から炭田に近い追分・岩見沢へと伸びていました。そのために、札幌線は、苫小牧~札幌間のローカル客貨混合列車の役割だったのです。

ところが、昭和36年室蘭本線・千歳線経由の特急「おおぞら」が運転され、函館~旭川間を接続する函館本線ルートに代わるとメインルートとなり脚光をあびるようになりました。

昭和40年より複線化工事が開始され、その際今回紹介する苗穂~北広島間の急勾配・急曲線連続区間を、昭和48年の新札幌副都心開発計画に合わせて、線路付け替えが行われました。

(札幌地下鉄は昭和46年開業、札幌オリンピックは昭和47年のことです)

移行後も東札幌~月寒~大谷地~上野幌間は貨物支線として運行されていましたが昭和61年に廃止。

現在、東札幌から厚別区の上野幌付近まではほとんどの区間がサイクリングロードになっており、その跡をたどることができます。

駅跡も一部に碑が建っているほかは目立ったものはありません。現在の千歳線は、白石駅から分岐し、その後副都心・新札幌を経て、上野幌付近からは旧線跡とほぼ並行しながら北広島へと続いています。この旧線跡の北広島側はエルフィンロードとなり、自転車やマラソンコースとして市民に開放され、札幌と北広島の中間点に「自転車の駅」が設置されています。エリフィンロード沿線には「日ハムの新球場」が建てられるので、ボールパーク構想に一翼を担うことになるかもしれません。また、札幌から球場へ向かう新道路として再利用の可能性もあります。(上の写真はエルフィン道路にある自転車の駅)

旧千歳線跡
(昭和61年に廃線・札幌エリアは白石区と厚別区)

【苗穂駅】(なえぼ:小さな川を意味するアイヌ語)

JR苗穂駅は昨年11月に800mほど札幌駅よりに移設し新しくなりました。
旧苗穂駅は南口しかなく、北側に住む人は大変不便でした。元々この駅は国鉄時代を通して鉄道工場で、機関車の整備を含めて広大な敷地を有しています。

鉄道マンの研修所もあり、その研修所跡を取り壊して新駅をつくり二階からの自由道路(歩行)で南北を行き来させました。その先に、サッポロビール工場と併設してアリオ札幌(イトーヨーカドー)があります。北海道新幹線の札幌駅ができるので、この一帯の土地価格が上昇しています。

【東札幌駅(札幌の東にあるために付けられた)

駅があったことを示すものは何もありません。再開発に指定され現在はコンベンションセンターになりました。かつては広大な敷地で札幌の貨物基地の役割を担っていました。また、定山渓鉄道への接続駅としても旅行客で賑わっていたといいます。

【月寒駅】(アイヌ語・木をこすって火を出したところ「チ・キサ・プ」)

大正15年千歳線の開通と同時に現在のアサヒビールの工場裏に月寒駅が開業。開業以来約半世紀にわたり、白石の主要駅として市民の足となりました。昭和48年に新札幌副都心開発計画に合わせて、北広島~苗穂間の線路付け替えが行われました。切り替え後は、最寄りのアサヒビールの積み出し駅となりましたが、昭和51年10月1日その歴史を閉じます。

【大谷地駅】(大きな湿地帯)現在の地下鉄南郷18丁目駅の近く
駅の敷地であったところは通称ぼけ公園として使われ、案内板だけが駅があったことを示しています。構内跡もサイクリングロードの一部になっており、遺構は何もありません。開業当時は貨物駅でしたが、旅客も扱うようになり、その後に貨物の取扱いをやめ旅客のみの駅となりました。