三郷の丘
士別駅で運送屋(馬橇)を頼んだので、道すがら地元の情報を得ることができた。三郷に入ると狭い雪道の両側はナラや、タモ・センの木にまじって、トド松、エゾ松などの常緑針葉樹がうっそうと茂っていた。
ところどころに昨年入植した人たちの小屋があり、そのまわりの木が切り倒されていた。
「あの、入植者の人たちは、水はどうしているのですか」常三郎は聞いておかずにはいられなかった。
「川の水を使うとるよ。三郷川というんじゃ。みんな道から引っ込んで、川の近くに小屋を立てているんじゃ」運送屋の説明でほっと一安心した。
更に、「このあたりの人たちは風呂をもっているんですか?」
「どこの家にも風呂はないさ。買うとめっぽう高いからの。まあ、今年の秋あたりには、一軒ぐらいは買う人もできようかのう」
運送屋は「さあ、もうすぐですよ。あそこが陽樹さん。その左奥に二、三軒入っているようです。この番地で言うと、陽樹さんの右奥が森岡さんで、その奥が村田さんのようだね」。
三郷川は小さな川だが、開拓がはじまったばかりのころは豊富な流量があり、何十匹ずつものマスの集団が、何回も何回も上がってきた。
川の上流でも中流でも、下流でも開拓民たちは総出でモリをかまえて、欲しいだけのマスをとることができた。マスは塩引きにして貯蔵し、味噌汁に入れたり、焼いたりしてふんだんに食べることができた。
秋になるとサケが上ってきた。マスの時のように、一家総出でサケをとり栄養を補給し塩蔵もした。
開拓当時の生活 〇食べ物/背丈をこすような太いフキが林の中に群生していた。それも大事なおかずになった。わらび、ウド、タランボの芽、こうしたものはどこにもここにもあった。 |