「しらたきむら」は、網走支庁管内の中西部に位置していた村です。
2005年10月1日に生田原町・遠軽町・丸瀬布町と合併し、遠軽町の一部となりました。
村名は、村内にある滝からで滝が飛散する水しぶきが滝つぼや岩肌を白く見せたことから「白滝」と呼び、村のもととなりました。
四方を山に囲まれており、西部は上川支庁と接しています。
村中部を東西に湧別川が流れ、それに沿って国道333号、石北本線が通っており村名の白滝は、村西部の下白滝信号場(旧・下白滝駅)から南方500mにあります。
明治30年ごろには一人の入植者もなく、上白滝に駅逓取扱人の中沢沢治が定住していました。囚人を酷使し、多くの犠牲者を出して開削された旭川~網走中央道路が明治24年に完成し、二年後の26年に8号駅逓が設置され、中沢は駅逓敷地内に野菜を栽培しており、これがこの村の農耕のはじめとなりました。
明治33年、遠軽の野上駅逓に石上藤蔵が管理人となりましたが、気象条件が悪く二年後に白滝17号に入地し開拓を始めます。これが開拓農家の始祖となります。
明治45年に和歌山から植芝盛平団長の54戸団体移住が入植しました。
植芝盛平は合気道の創始者で当時の紋別郡上湧別村白滝原野に入ります。
上白滝地区の自宅跡地に記念碑が建立されています。
合気道の開祖として有名な人物で、その勧めで大正8年には合気道の達人武田惣角も入植しました。
昭和4年、遠軽~白滝間の鉄道が開通、3年後には石北全線が開通しています。
昭和21年、 紋別郡遠軽町から丸瀬布村とともに分村、紋別郡白滝村となりました。
JR石北線旧白滝駅は旧とありますが、正式駅名も「旧白滝駅」といいます。
旧白滝駅は1本のみ停車した下り列車で、遠軽高校に通う一人の女子高校生のために存在していた駅です。
2016年(平成28年)3月26日のダイヤ改正で廃駅となりましたが、高校生の卒業を待っての措置でした。世界に配信され知れ渡ることになりました。