よいち町名の由来は、アイヌ語のユウヲチ(温泉のある所の意)の略語との説があります。余市川上流に温泉があるという意味です。古くは与市とも書きました。
蝦夷の時代からヨイチ場所として栄え、藤野喜兵衛・林長左衛門らが請負っていました。現在も入船町に林長左衛門が1850年に建てた運上屋が保存されています。
明治2年、開拓使余市詰役員派遣(浜中出張所)余市定着77軒。
明治4年、旧会津藩士が余市町の山田・黒川地区に入地しますが、他の士族と異なり主を持たない入植でした。会津藩士は兵部省の管轄となり、樺太へ渡る予定を中止し、開拓使の保護移民となり余市に入りました。
明治7年には198戸の開墾の業を賞し、開拓使から米50石を、翌年には3300円を与えられています。
会津藩が今日の余市リンゴの先駆者となりました。
余市は、大正時代までニシンの千石場所として栄え、下ヨイチ運上屋の他にも、母屋及び米蔵まで現存する旧余市福原漁場も残されています。
昭和29年のニシン漁を最後に余市湾への回遊が途絶えました。
現在は、ニシンに代わって、「えび」、「いか」、「かれい」漁などがさかんに行われ、また北限の鮎の生息地でもあります。
余市川流域は肥沃な土地で温暖な気候と昼夜の温度差から、丘陵地帯では果樹栽培が行われています。
昭和9年、ニッカウイスキー北海道工場が余市駅前に建設され竹鶴政孝によって創立されました。
また、気候風土に恵まれた余市で収穫されたブドウを主原料に日本清酒余市ワイン工場でワインも生産されています。
道の駅スペースアップルよいち
初のスペースシャトル搭乗員となった毛利衛の生地として知られるようになり、道の駅と併設して「スペース童夢」を建設し観光客を呼んでいます。
続縄文年代のフゴッペ洞窟から宇宙体験までと広大な歴史を実感できる町です。