蝦夷の時代12(松前藩開祖誕生)を加えました。

武田信広

松前藩が実際に誕生するのは徳川幕府が設立されてからですが、松前藩の始祖となるのが武田信広です。
1456年、現在の函館空港近くにあった志海苔の鍛冶屋にマリキ(小刀)を依頼した少年が刺殺されたことがキッカケとなり、アイヌたちが一斉に立ち上がりました。
東は鵡川、西は余市あたりまでの和人(日本人)が多く殺害されました。

1457年5月、東部の首長コシャマインが蜂起して勢いを増し、志海苔をはじめ和人の諸館はあいついで陥落、わずかに茂別、花沢の2館だけとなり、残った者は松前、上ノ国付近に追い詰められます。
和人全滅の危機を救い和人軍の大勝させたのが武田信広でした。

松前藩が誕生するのは武田信広から五代目となる「慶広」になります。