鎌倉幕府を打ち立てた源頼朝は、1189年奥州藤原氏を征服すると、津軽に蝦夷管領を設置します。
蝦夷には藤原氏の残党が多く渡っており、津軽守護人として蝦夷までの支配権限を与えられたのは、津軽の十三湊(とさみなと)を拠点とする豪族の安藤氏でした。(義経伝説については別に書きます)
十三湊はサロマ湖と同じで海と湖が繋がっており、中世時には蝦夷地を含めた日本海沿岸交易により西の博多に匹敵する大きな都市を形成していたのです。
ところが、15世紀半ば(1443年)に、太平洋側の南部氏との争いに敗れ安藤氏は一旦十三湊を放棄して蝦夷島に渡ることになります。