1901年(明治34年)に、徳島出身の関寛(ゆたか)の4男又一らが斗満に入植したのが開基とされています。
札幌農学校を卒業した関又一は約1000㌶の貸し付けを受け、翌年には父寛らの一行が到着し開拓を本格的に行いました。
関寛については、北海道ゆかりの人たち「関寛斎」に詳しく書いてあります。
関寛が北海道の開拓を志した時はすでに70歳でした。
明治27年に又一の希望で樽川に農場を開き、その後この地に移り理想的農村建設を目指しますが、子に志を託して82歳にして自ら命を絶ちました。
明治39年に岡山県出身の森政次郎が中陸別に入植し、明治40年前後に次々と入植が続きます。
明治36年に牧畜経営を主要事業として牛馬飼育を行い、大正末には乳牛も導入されていました。
町面積の85%が林野というこの町ですが、網走線が開通する前年の明治43年に斗満原野に入地した吉野茂吉が造材の先駆者となって林業が始まりました。
木工業も稼動し、大正期には営林署も設置し、大正末には木炭生産がピークに達しています。
昭和24年、淕別村(りくんべつ)から陸別村に改称、昭和27年の十勝沖地震では大きな被害を受けましたが、翌年に町制を施行しています。
昭和41年に国営パイロット事業が行われ、酪農地帯として整備されていきました。
土地は肥沃ですが、冬にはマイナス38℃にも達することがあり、夏冬の寒暖の差が70度くらいあります。
近年は日産自動車の寒地試験場も設置されています。
カネラン峠
陸別から道道143号に入ると阿寒へと続く途上にカネラン峠があります。
この展望台からは阿寒の山々が一望でき雄大な自然を満喫できます。
この道は、足寄からの国道241号にいったん出て阿寒に向かいますが、並行して走る道道664号に出ると「螺湾プキ」「オンネトー」を見ることができます。