阿寒町(あかんちょう)は、北海道東部、釧路支庁管内の阿寒郡にあった町で、マリモで有名な阿寒湖があります。
平成17年10月11日に当時の釧路市、阿寒町、音別町が合併して新生「釧路市」となりました。

あかん町名の由来は、アイヌ語で諸説あります。
アカム( 車輪)とする説やラカン(ウグイの産卵)に関係するという説、地震の時雄阿寒岳が動かなかったことに由来するという説があります。

釧路市から北西約40kmに位置し、阿寒湖から南流する阿寒川の流域を占め、町域は南北に細長く阿寒川に沿うように国道240号が縦断しています。

北部は阿寒摩周国立公園に属し、阿寒湖、阿寒湖温泉を有する山岳地帯。
一年を通して全国、海外特にアジアから多くの観光客が訪れます。

かつては雄別炭鉱を中心とした炭鉱の町として栄えていましたが1970年2月に閉山。街は大打撃を受けます。現在は酪農、畜産、阿寒湖を中心とする観光が基幹産業です。

明治に入ってもわずかにアイヌ人が集落を作っていた程度でした。
明治30年舌辛原野に愛知県の安藤利右衛門が、続いて武隈作平が富山団体を率いて入植しました。次第に農地は増えましたが、冷害・流通の不便で離散したものもありました。
明治30年代にはイナキビの品評会で2等賞を取ることもありました。

明治末期から盛んになった林業は、大正9年の雄別炭鉱の開坑による雄別鉄道開通で枕木・坑木・パルプの原木・木炭需要でさらに発展します。

一方、明治39年に鹿児島出身の前田正名が阿寒湖畔を開拓し道路や各施設を建設し貢献し、昭和9年に阿寒国立公園に指定されました。
更に、昭和34年前田の私有地「前田一歩園」三代目園主故前田光子が土地を無償提供し、散在していたアイヌを集結させ、湖畔にアイヌコタンを形成、民芸品の制作、観光事業などに従事しました。
昭和53年にマリモ展示観察センター、その6年後にビジターセンターを完成しました。

かつて中心的産業であった雄別炭鉱は昭和45年鉄道とともに姿を消しました。

主産業は乳牛を主に飼育している酪農と林業ですが、明治27年に発見されたマリモなどの有力な観光資源を活用し、年間100万人以上の観光客を呼んでいます。

1859年、松浦武四郎が探索した際には、自然湧出の温泉をアイヌ人が利用していたという阿寒湖畔温泉を、今は20軒以上のホテル・旅館が建ち並ぶ温泉街になっています。