あかびら市名の由来は、アイヌ語のフレピラ(赤い・岩)、ワッカピラ(水・崖)、アカピラ(山稜の?・ガケ)といろいろ説があります。
赤平市は空知地方中部・空知川流域に位置する市です。
石炭で栄え最盛期には59,430人の人口(1960年)を擁していましたが、その後の衰退により現在の人口は激減。
経済の建て直しに取り組み、ズリ山・立坑などの炭鉱産業遺産を生かした観光に力を入れています。
明治24年、熊本県人の鶴林恵熊ら6人が、歌志内から山を越えて百戸地区に入植したのが開拓のはじまりでした。その後、岡山からも入植。
明治28年には石川県江沼郡から寺西幸三郎など加賀団体が移住しました。現在の赤平神社は彼らが祭祀した振波志神社が前身になっています。
一方、住吉地区では吉田農場を開いた吉田民治が氏神を建立、明治41年川島吉次郎らが中心となり、郷里の富山県氷見地方に古くから伝わる越中獅子舞を奉納しました。(昭和46年に赤平市無形文化財指定)
炭鉱の街
大正6年の白富炭鉱にはじまり、幌倉炭鉱、茂尻炭鉱と続き、昭和13年に住友赤平炭鉱が開坑し昭和35年には年産200万トンを採炭しましたが、昭和40年代からエネルギー政策の転換で炭鉱合理化政策が行われ、大小23を数えた炭鉱は次々と閉山に追い込まれ、人口の流出が続きました。
最後に残った住友石炭赤平炭鉱も平成6年(1994年)2月に閉山。今は市内各地にズリ山が残っています。
大正11年、歌志内村から分村して赤平村となり、昭和18年町制、昭和29年に市制を施行しました。
炭鉱からの脱却
昭和40年代から鉱・工業市を目指して、数々の企業を誘致してきましたが、人口は最盛期の3割ほどに減少。
花卉栽培に力を入れており、「赤平フラワー開発センター」で研究を進め、赤平市花卉振興公社でコチョウランを栽培する事業を着手し全道に出荷しています。