らんこし町名の由来は、アイヌ語のランコ・ウシ(桂の木の多い所)という意味です。
江戸時代に松前藩はイソヤ場所を置く。天保3(1832)磯谷場所請負人西川順兵衛、北尻別に稲荷神社を創建。
磯谷と尻別という地名は、1662年吉田作兵衛が幕府の命により作った全道地図に初めてその名を現したといわれています。
その後、松前藩はイソヤ場所を置き、1765年運上屋が設置され交易をおこなうようになりました。
尻別が漁業を主として栄えるにつれ、尻別川沿岸の森林地帯に資材を求めるようになりました。
松前藩とは別に、1702年飛騨屋久兵衛が尻別山のエゾマツを伐り出し、江戸・大阪に搬出していました。
明治4年、米沢藩から5戸が移住し開墾を進め、明治10年には津軽出身の浜名安蔵らが定住し本目名地方の開墾先駆となります。
明治18年には石本太兵衛が水田試作に成功。明治20年から次第に試作が増え、畑地も拡大し、換金作物も作られるようになりました。
当時は豊漁が続いており農業地帯は顧みられず、明治32年に分村して南尻別村となり本目名(現名駒)に戸長役場を設置。
明治37年、蘭越・昆布駅が開業になり移民も増加し大正3年蘭越市街地に役場を移転しました。
ニセコ連峰等の山岳に囲まれた盆地で、町の中央を尻別川が東西30kmにわたり貫流し日本海に注いでいます。
この尻別川は7年連続通算15度の清流日本一に選ばれており、その本支流に広がる流域は肥沃で水田の耕作に適しており、ここで生産される「らんこし米」は良質美味で好評。
気候は比較的温暖ですが、冬は積雪量が多く、特別豪雪地帯に指定されています。
7つの温泉郷
蘭越は大沼などのニセコ沼巡りコースの玄関口になっており、五色・湯本・新見の温泉郷があります。その他に昆布川・薬師などの温泉を持ち、湯本温泉郷には湖底から湧き出した温泉をたたえた大湯沼があります。
それぞれ泉質の異なった7つの温泉郷があるのが特徴で、日帰り入浴も可能です。歴史ある老舗旅館からペンションまであるので源泉効果や効能を研究してゆっくりと湯めぐりが楽しめます。