かもえない村名の由来は、アイヌ語のカムイナイ(神の沢)を当て字したものです。
1594年(文禄3年)には、すでにニシン漁がなされていたという記録があります。
江戸時代にはフルウ場所が開設され近江商人田付新十郎らが場所請負人となり、ニシン・アワビ・ホッケなどを産出しました。
明治元年ごろからタラ釣漁も盛んになります。
漁業で栄え、明治21年にはニシン漁獲高が古宇郡全体で3万5千石を上げています。
明治25年にノット金山・珊内銀山・シシャモナイ銀山が開業しましたが後に閉山しています。
明治30年代から40年代までがニシン全盛期であったとされ、大正元年に古宇郡全体で6万2千石と全道第一位となりますが、ニシンは衰退していき、大正半ばから本格化してきたホッケ・マス・タコ漁に転換していきました。
明治39年、神恵内村と赤石村と珊内村が合併して神恵内村となりました。
西の河原(さいのかはら)
かつては30数㎞に及ぶ沿岸の断崖により、往来の難所とされた地です。
大正期のカブト岩トンネルの完成
茂岩~神恵内道路開通のほか、次第に交通路も開け、平成8年には国道229号も開通し積丹半島を神威岬を通り一周できるようになりました。
船でしか行くことのできない秘境の霊地であった「西の河原」は、歩いていくこともできるようになりました。しかし、御堂の中に祀られた地蔵様は今でもこの河原を守っています。
キャンプ施設を備えた神恵内青少年旅行村も整備され、大森にはダイビングパークの建設、インストラクターによる指導も行われています。