留萌のアイヌ
かつてルルモッペといわれた留萌が漁場として開けたのは、1787年ころと言われています。
1807年には300人のアイヌが住んでいました。
この地には由緒ある家筋で裕福なアイヌたちが住んでいたとされ、中でも有名な酋長コタンピルは留萌から小平(おびら)まで勢力圏がありました。
資産家で大陸との交易も行っていたといいます。
海のふるさと館
黄金岬付近のかつては日和山やのろし台として使われていた高台上にあります。
1階の常設展示室にはニシン漁で栄えた留萌の歴史などに関連する所蔵品350点が展示されています。
コタンピルや北前船に関する遺品などのレプリカが展示されています。
留萌の歴史では、留萌場所の請負人栖原(せいはら)角兵衛は、紀州有田郡栖原村の出身の6代目で、家運が傾き、明治28年に北海道を引き払うまで5代で130余の千石場所を育てました。
2階には展望ラウンジやレストランがあり日本海を展望できます。
留萌港は留萌川河口の自然港です。
ニシンや塩サケ・塩マス等が北前船で本州へと積み出され、明治20年頃には輸入取扱高で道内9位という商業港でした。
その後スコットランドの港湾技師メイクの提言を受け、留萌発展のために港湾建設を明治43年に着工し、昭和8年に完成しました。
市街は留萌港を中心に発達し、木材・農産物の集散地となっており、外国船も出入りする国際貿易港となりました。