日高本線は苫小牧~様似駅まで146キロを29駅で結ぶ鉄道です。
明治末に苫小牧の王子製紙子会社の軽便鉄道を国有化し、昭和12年に様似まで延長しました。しかし、この路線も廃止が迫っています。
森進一の「襟裳岬」が流行した昭和40年代後半には「様似駅」でバスに乗り換え、岬を目指す若者が年間40万人に達していました。(岬まで30キロ)
写真は駅前から写したものですが、遠方に見える山が「アポイ岳」です。
ユネスコの「ジオパーク」に認定され、標高810mの低い山が高山植物の宝庫になっています。
様似は蝦夷時代、松前から根室に向かう中継点でした。
1804年に蝦夷三官寺として等澍院(とうじゅいん)が設置され、江戸から多くの往来がありました。
高田屋嘉平衛の辰悦丸が立ち寄ったエンルム岬(様似港)を、司馬遼太郎は「菜の花の沖」で船乗りたちは「神々の国」だと想ったはずと書いています。
等澍院檀家の人がスーパーをやっており、話によると高田屋の一族がこの地に残り、子孫が「高田」の姓で街にいると話していました。