砂原町(さわらちょう)は、森町の東隣にあった町です。
2005年4月1日、森町と合併し新町名は森町となりました。
さわら町名の由来はアイヌ語のサラキウシ(鬼茅のある所)からです。

1532年に青森県津軽郡の権四郎という人物が漁夫10戸を率いて移住し、この村を開いたとされています。
茅野場所は箱館6ケ場所のうちの一つで現在の砂原と森町の全域の範囲で、知行主は代々松前家臣北見家で請負人は角屋太郎吉右衛門と角屋右衛門でした。
外国船の渡来により、幕府に北辺警備を命じられた南部藩は1856年(安政3年)室蘭陣屋の砂原分屯所を置き、明治元年に引き上げるまで常時30名が駐屯していました。今は南部藩陣屋跡として国の指定史跡になっています。

砂原漁港

1640年(寛永17年)に駒ヶ岳が噴火し大津波で昆布採りの漁船が流失し大被害をもたらしました。
その後も1856年(安政3年)と1929年(昭和4年)にも噴火により甚大な被害を及ぼしています。

昭和2年、砂原~東森間に渡島海岸鉄道が開通し、戦時中国鉄砂原線の新設にともない昭和20年に国鉄に買収されました。

駒ヶ岳は標高1133mの山で比較的楽に登山できるのですが、活火山のため入山規制が行われることがあります。砂原からも登山入り口があります。