にいかっぷ町名の由来は、アイヌ語のニカプ(ニレの木の皮)からです。
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明治に入り、新冠郡は徳島藩の支配下に置かれるが、ほどなく罷免、次に淡路州本城代家老稲田邦植の支配も短期で終わります。
彦根藩による沙流郡の支配も罷免され、ほとんどが帰国しましたが中村与吉一族は賀張(現門別町)に定住、明治4年には新冠にも住まいを構え漁業に従事しました。
古くから砂金採取が行われていましたが、明治22年頃新冠川で採取され4~5年続きました。
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江戸時代、馬は運上屋に預託し備馬として交通・運搬に用いられていましたが、明治5年ケプロンの意見により、官営の新冠牧場を開きました。
エドウィン・ダンが出張し指導にあたり牧場の基礎が作られます。
さらに、洋種馬を入れ、馬の改良を図り競馬界を賑わせます。
戦後(昭和29年)日本中央競馬会が設立され、娯楽として競馬が復活し、この地は軽種馬の生産・育成地として脚光を浴びるようになりました。
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国道235号・日高路は、海と山脈に囲まれてのどかな牧場風景が広がり、新冠町の中心部にある道の駅「サラブレッドロード新冠」は、物産館、フラワーショップなどを備えた観光の情報拠点。
ハイセイコー、オグリキャップ、マヤノトップガン、ナリタブライアンを生んだ競走馬のまち「新冠町」。