まくべつ名は、アイヌ語のマクンベツ(山際を流れる川)が転訛したもの。
2006年(平成18年)、幕別町と忠類村が合併し幕別町となりました。
そのため、町は縦に細長い地形で、北に十勝川、西を札内川、中央を猿別川と途別川が流れ、更に北西から南東に当縁川が流れています。
幕別町の農業は、札内地区や南幕別地区においては畑作物や野菜生産、忠類地区においては酪農が主体です。
明治15年ごろ止若(とむわっか)村に旧仙台藩士細谷十太夫(ほそやじゅうだゆう)が住みついたのが最初の和人と言われています。細谷は仙台藩が降伏すると新政府の捕縛を逃れ、戊辰戦争の大赦令が発令されると姿を現しました。かつての部下を率いて北海道の開拓に尽力し、その後、仙台に帰って竜雲院の住職となりました。
明治22年に仙台の永井三治が利別から止若村に入地、後に郵便局長となっています。翌年に同じく宮城県人の武山土平が細谷に招かれて利別から移住しています。武山は洪水被災者に土地を無償で提供したり、渡船場の設置で入植者の便を図るなど、村の開拓に貢献をしました。
明治25年、香川県移民奨励会13戸が止若村、徳島県の南海社14戸が咾別村に入地。
明治26年、大津街道(旧国道)完成。
明治27年、群馬県新田郡鳥之郷村の岡田新三郎が丸山南麓に単身入地し、忠類村の開拓が始まる。明治30年ー新潟県の鈴木久太郎ら7戸が当縁川沿岸に移住。
明治44年に新田帯革製造所が大阪から進出し、止若停車場前の十勝製渋工場で革なめし用の固形タンニンを製造していましたが、カシワの資材枯渇で社有林からベニヤ板の製造を始めます。
昭和19年に新田ベニヤ工業と改称し現在はニッタクス十勝工場になっています。
パークゴルフ発祥地
パークゴルフは、幕別町で考案されたスポーツです。
公園の芝生で楽しめるゴルフに似たスポーツ。鳥取県泊村発祥の「グランドゴルフ」をヒントに、1983年(昭和58年)に幕別町の公園の一画で誕生しました。
運動不足の解消や健康増進にもつながるのが最大の特徴です。
幕別町には町営のパークゴルフ場が12カ所あります。(無料)
トップ写真の「つつじコース」が初めて作られたコースで、幕別役場の近くでした。