ほろかない名の由来は幌加内川によるもので、アイヌ語のホロカナイ(母川の向きとは逆方向気味に流れる・川(河谷))の意味から。
もともとは旧・空知支庁の管轄でしたが、隣接する上川支庁管内との結びつきが強いことから、2010年(平成22年)4月1日に現在の上川総合振興局に管轄が移動しました。このことで、国政の選挙地区が変わりました。

明治30~31年に国有未開地の貸し付けが開始され、ホロカナイ原野に移住してきたのは吉田三郎で、当時は密林地帯で刈り分け道があるだけでした。

4年後に札幌農学校が維持資金にあてるため、演習林が誕生。
明治44年御料地の中の農耕適地を区画し、農学校演習林の貸し付けも開始され、福島・岐阜県などから移住者が次々と入地し、大正7年には戸数805戸4670人となり分村。大正12年に幌加内村制が始まりました。

第一次大戦で青エンドウ・澱粉景気に湧き、澱粉工場が乱立した時代もありました。

大正~昭和初期に砂金・砂白金掘り師が入り込み、昭和8年砂クローム鉄鉱の北海道クローム工業が操業し、7年後には年産420トンを産します。その後、採算が合わなくなり閉山しました。

幌加内原野は川の氾濫が多く、入植者を苦しめてきましたが、雨竜川下流に鷹泊ダム、上流の町内に雨竜ダムが竣工してから水害が少なくなりました。

朱鞠内湖

朱鞠内湖

朱鞠内湖は16年の歳月をかけて、昭和18年に完成した雨竜第一ダムによって堰き止められたダム湖です。(昭和49年に朱鞠内道立自然公園に指定)

常時満水位までの面積が大きく人造湖としは日本一の広さです。
周囲を緑の自然につつまれ、春・夏・秋・冬と季節が移りゆくたびにその景観は一変します。

日本最寒記録-41.2度

明治35年、旭川市(現下川町)で日本最低気温の公式記録-41度を記録。
しかし、その76年後、昭和53年に幌加内町母子里で-41.2度を記録。
気象庁の公式記録の対象からはずれていたため、旭川の記録が公式記録になっていますが、幌加内町母子里の-41.2度が日本の最低気温です。

幌加内蕎麦 

昭和45年、米の生産調整政策で、幌加内農業は米からそば栽培へと転作されました。
昼夜の寒暖差、日中の朝霧の発生等々の自然条件がそば栽培に適していたことと短い生育期間で収穫できることからでした。
以来、そば作付け面積は増加を続け、昭和55年には、作付け面積が日本一となり、現在、作付け面積、生産量ともに日本一の生産地となっています。