八木義德(やぎよしのり)
 
八木義德は室蘭郡室蘭町大町で、父田中好治、母八木セイの次男として出生。当時父は町立室蘭病院長でした。大正13年(1924)年武揚尋常高等小学校を卒業。同年室蘭中学校(現室蘭栄高等学校)に入学、剣道に熱中します。
昭和6年、当局の左翼学生弾圧により北大を自主退学して室蘭に帰り、その後、上京して昭和10年4月早稲田大学文学部仏文科に進学します。

卒業後民間企業に就職、昭和19年2月、遺書のつもりで書き上げた小説「劉廣福」を脱稿、この作品で第19回芥川龍之介賞を受賞。

平成元年秋の叙勲で勲三等瑞宝章を受章、12月文部大臣より「日本芸術院会員(第2部)」に発令されます。翌年「室蘭市名誉市民」に顕彰され、3月「八木義德全集」(全8巻)が福武書店より刊行されました。
闘争とエロスを原風景として、書き続けた八木義德は戦後文壇上の「最期の文士」と言われています。
昭和55年室蘭測量山の中腹に文学碑が建立されています。