奈井江(ないえ)町名の由来は、アイヌ語のナイェ(その川)で町内を流れる奈井江川との説があります。

鎧兜一式伊達家

現在の当別町を拓いた岩出山市藩主伊達邦直は、明治3年に新政府から空知郡統括の命が下り「ナイエ」から「ナイ」までの土地分割を受けます。石狩川を遡り10日かかって奈井江に着きますが、雨により河川増水や石狩川河口まで遠距離のため支配地を返上したいきさつがあります。

明治19年、上川道路を開削し、その任にあたった高畑利宜は道庁を辞し、滝川に住居を構え駅逓の取り扱いを認可され、明治22年忠別太・音江法華・奈井江などの駅逓を設け、奈井江には代理人の横山金蔵が務めました。

ここは明治24年に函館本線奈井江停車場ができたため閉鎖されましたが、道路と鉄道の開通で移住者が増えました。

明治25年、埼玉県植民協会の清水宗徳が250㌶。神奈川県の豪商高島嘉エ門が833㌶の賃下げを受けて農場を開きます。

明治27年、茶志内に屯田兵30戸が入植します。
今も「茶志内屯田工兵隊台場跡」の碑が建てられています。

戦中・戦後に東奈井江地区に炭鉱が開かれ、活況を呈しましたが昭和48年にすべて閉山しています。ピーク時には人口1万8千人を超えていました。

奈井江町は、空知管内のほぼ中央に位置する町で、町域の西部は石狩平野の中部、石狩川左岸の氾濫原にあり中心市街及び農業・工業地帯があります。
東部は空知炭田のある夕張山地にかかり、山岳・森林地帯で、かつて石炭産業で栄えましたが、閉山に伴い人口は激減。農業・工業の振興を図る一方、福祉政策に力点を置いています。

コンチェルトホール
JR奈井江駅前にはグランドピアノのオブジェがおかれています。

また、駅と併設してコンチェルトホールの文化ホールがあります。
木質壁を採用し音響効果に優れたホールで自然とともに文化豊かな町です。