東藻琴村(ひがしもことむら)は、かつて網走支庁管内の網走郡にあった村です。 2006年3月31日、女満別町と合併し、大空町となりました。
村名の由来は、アイヌ語のモコト(眠っている沼)からです。
明治33年に藻琴原野が開放されました。
大阪堂島区の山脇常三郎が92万坪強、宮城県神七郎右衛門が60万坪の貸付を受けました。
山脇は網走在住の奈良県十津川村の原鉄次郎に管理・処分を依頼し、十勝の高島農場の小作・梅谷房蔵の縁故で森弁七に相談し森農場として公式手続きを進めました。
明治40年代から次第に入植者が増えだし明治42年には39戸なりました。
明治41年に入植した森幾太郎は藻琴山一帯にかけて造材事業を開始、藻琴川を流送させ搬出していました。
大正3年に藻琴駅逓所が開設、竹内権平が管理人となります。
ビートが栽培されはじめましたが輸送が不便で伸び悩みます。このビートは昭和10年に藻琴駅と山園を結ぶ北海道庁の殖民軌道が完成し輸送が整い、寒冷地安定作物として耕作面積が増え農業が発展していきました。
藻琴山
毎年春になると芝桜公園の10万㎡の斜面をシバザクラが埋め尽くし、園内には藻琴山温泉も設置されています。
標高千メートルの藻琴山は比較的手軽な登山コースで、8合目には日本一おいしい水と称される銀嶺水が湧いています。
頂上からは屈斜路湖やオホーツク海が望める自然豊かな村です。
ひがしもこと乳酪館
東藻琴のもう一つのシンボルともいうべき施設です。
見渡す限りに広がる牧草地で、のんびり草を食べる牛たち。そんな乳牛から搾ったフレッシュなミルクが「チーズの里」となっています。
乳製品の開発・製造とともに、チーズづくりを見学・体験することができます。