朝日町は上川郡にあった町です。
平成17年9月1日に士別市と合併し士別市朝日町となりました。
明治に入り新政府は皇室財産の基礎固めが急務となりました。官有林・原野・鉱山などを皇室財産に編入する目的で土地の呼び名を統一し、御料地というようになります。
北海道の御料地区画の中には、農耕地として開墾可能な原野がかなり含まれていました。北海道開発促進の目的に照らしても開放が望ましいとされ、区画割りされた士別御料地は明治38年から貸し付けが始まりました。
明治38年に本通に杉本由松、北Ⅰ線付近に溝口太平が入地。翌年から福島・島根・香川県などから入地が相次ぎ、開拓が急速に進展しました。
明治42年に初めて水稲の試作が行われ、明治末から大正期にかけて木材需要が増え、昭和初期には灌漑工事も行いました。
戦後、昭和24年に上士別村から分村にあたり朝日村とします。
「あさひ」の名は、母村の東側にあり、朝太陽が昇るのが早いことからに由来しています。
農業生産基礎を整備、土地改良、乳牛などの有畜農業を奨励し、温水ため池の整備で米の増産に努めました。
また、米の生産調整にも対応し、麦・小豆・大豆に転換。
融雪・大雨のたびに洪水に悩まされ、上流地区は農業用水不足も起きていました。
昭和45年、岩尾内ダムの完成により、天塩川筋の洪水はなくなりました。
昭和37年に町制施行しましたが、その前年をピークに人口減少し過疎化問題が起きていました。
三望台シャンツェ
士別市街地から約20km。北見山地の最高峰「天塩岳」を有する朝日町の朝日三望台は、オールシーズン利用可能なジャンプ台で、サマーシーズンには全日本スキー連盟A級公認の3大会が開催されます。
スモールヒル K=40m・ミディアムヒル K=60mの2つの台があり、全国から多くのジャンパーが訪れ、将来のメダリストを目指す子供たちの登竜門になっています。夏・冬通じて競技会や合宿が行われています。