ふるびら町名の由来はアイヌ語の フレピラ(赤い・崖)など、地形に基づいた説があります。
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蝦夷の時代に古平場所が開かれ、ニシン・サケ・ホッケなどを交易していました。初代請負人は近江商人の岡田弥三右衛門で、11代目の1866年まで続き種田家に譲渡します。
10代目は23場所も請負、古平場所より多く繁盛していました。
明治2年、浜町に開拓使古平出張所が設置。
会津降伏藩士の移住がはじまり、440余人を小樽へ移しますが、その後大半は余市に移動、千寿為明・根津親久らのように古平に入った者もおりました。
明治34年、新潟の榎本伝内らが米の試作を行い、大正に入り増加していきます。明治36年、果実品評会で浜町の中村敏一郎の紅玉リンゴが好成績を収め農業も発展します。
昭和に入り、ニシンが衰退しはじめ、昭和40年代もニシン刺網漁の漁撈技術は全国一ともいわれました。しかし、多くの漁船を配しましたがニシン禁漁、二百海里規制で減船を強いられることになります。
豊浜トンネルの岩盤崩落事故
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古平は、積丹半島の東側中央部、積丹と余市に隣接した位置で、昔から海岸線は奇岩が織りなす景勝地です。
余市から古平までの区間に鉄道はなく、公共交通としては余市町や小樽市から定期バスが1日17往復。広域幹線ルートは、国道229号であり、小樽市までは36.1㎞で車利用の所要時間は1時間弱、札幌市までは約1時間30分。
平成9年(1997年)余市との境付近にある豊浜トンネルの岩盤崩落事故で、上り線バスに乗車していた古平側の住民らが犠牲になりました。
天狗の火渡り
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火渡りは、朱色装束と天狗の面をかぶった「さるたひこ」の先導で町内をあるきご神体を清める儀式です。
大きな音の太鼓と軽快な笛の音が響き渡り、火が付けられると火柱は約3メートルほどの高さになります。さるたひこは火の粉を蹴散らしながら火渡りを計3回行うと、観客から大きな歓声が上がります。
続いて獅子舞や奴行列、みこしも火渡りし、祭りは最高潮に達し近郊の町からもたくさんの人が来町する有名なお祭りです。