旧大野町は2006年2月1日、上磯町と合併して北斗市となりました。なお、大野町役場は北斗市の分庁舎となっています。
おおの町名の由来は複数の説があり、かつてこの地が広い野原だったこと・移住者の郷土名(福井県大野市)・アイヌ語のオンネ(大きい方の意)などです。

北海道の水田発祥の地で、道内の穀倉地帯を形成していました。
1685年文月・押上地区で開田、米の試作を行い、1692年には野田作右衛門が文月で、水田を開き米10俵を収穫、1804年には本郷地区も開田、1858年相模国の大友亀太郎が木古内から大野村に移住し8年間農事指導に努めました。
明治10年に水田が完成したといわれ、文月に「北海道水田発祥之地」碑が立っています。

二股口古戦場

榎本武揚率いる旧幕府軍が蝦夷に上陸し、箱館戦争の最初の戦場となったのが大野平野でした。意富比(おおひ)神社に陣取った箱館府守備兵は敗走し、旧幕府軍は蝦夷地を征服しましたが、新政府軍に反撃され、土方歳三の指揮の下、二股口(台場山)に砲台を作り、ゲリラ戦を展開しますが24日間の戦いの末、敗退します。今も町内には戦死者の墓や意富比(おおひ)神社などのゆかりの史跡が残っています。
明治5年に開拓使の測量事業が始まり、明治8年には大野養蚕場も開拓使により開設され、酒田県士族が桑園を開墾、明治11年に愛媛士族山田致人が牧牛場を開設するなど、新時代の産業が行われていくことになりました。