函館市(はこだてし)は、北海道内では旭川市に次ぐ第3の人口です。
地名の由来は、「1454年南部氏との戦いに破れた津軽の豪族・安東政季を擁し、武田信広らと共に蝦夷地に渡った河野政通が、函館山の麓(現在の弥生町付近)に築いた館(「宇須岸館」とも「河野館」とも呼ばれる)が箱に似ていたため箱館と呼ばれるようになり、明治時代になって函館と改められたが定説のようです」
明治の開拓使時代には出張所や支庁が置かれました。その後それらが廃止され北海道庁が設立されるまでのわずかな期間には、函館県の県庁所在地でもありました。地理的に本州に最も近い港町であるため明治時代から海運は発達し、北海道と本州との連絡としてかつては青函連絡船が、そして今なお定期フェリーが青森との間に就航しており物流の結節点となっています。