はこだて市名の由来は、15世紀中ごろに河野氏がこの地に箱状の館を築いたことによります。(道南12館の一つでした)
箱館が開けていくのは、1796年に淡路島出身の高田屋嘉兵衛が辰悦丸で来航し、大町に回漕業の支店を出し北方漁場を経営し出してからでした。
そうして、更に幕末です。
幕府は対外防衛のため箱館奉行所を置き、南部藩ら東北諸藩に命じ蝦夷地に陣屋を設置し警備にあたりますが、1855年にとうとう箱館を開港となりました。
幕府が外交および北方警備のために7年がかりで五稜郭を築造している間に、重三郎という町人が西洋料理店を外国人相手に開いたり、欧米各国の領事や商人・宣教師が訪れるなど、次第に西洋化の波が押し寄せて来ます。
1855年、桔梗地区に東北・北陸の東本願寺門徒が移住し開墾が始まります。
明治維新の際、旧幕府軍の一隊を率いた榎本武揚らが五稜郭を占拠しますが、明治2年5月には降伏しました。
港を中心に発展
明治40年、日ロ漁業協約が結ばれ北洋漁業が発展し大正10年には日露漁業㈱も創設され北洋の基地となります。
函館どっくの開業など、港を中心に栄え、明治41年には国鉄青函連絡船が開設。
大正11年に市制。昭和48年亀田市を編入。
200海里問題以降北洋漁業はかつての勢いはなくなりましたが、今も港湾沿いには造船所、倉庫、水産加工場、市場と港都市の名にふさわしい街となっています。市内に残る史跡を利用して観光にも力を入れています。