恵山町は、渡島支庁中部にあった町です。
2004年(平成16年)12月1日に函館市に編入されました。
えさん町名の由来は、町内にある活火山「恵山」で昭和60年に改称した名です。
昭和39年に尻岸内町として町制施行しています。
この名の由来は、アイヌ語のシリキシラリナイ(岩壁に形像のある川の意)という説です。
康正3年(1457)渡島半島で、首長コシャマインに率いられたアイヌ諸部族が和人の圧迫に対して起こした戦いがありました。(コシャマインの戦い)
この時に尻岸内アイヌも蜂起し、箱館志海苔館の河野政通を攻めたという記録があります。尻岸内コタンのアイヌの人たちもコンブを採取し交易して暮らしていたようです。
恵山は箱館6ケ場所の一つとして開けた地で、コンブなどを産していました。
1720年、南部佐井村から西村善次郎が、津軽からは野呂平四郎が渡来しコンブを採り、ブリやタラ漁の出稼ぎをし、そのうち和人が移住しはじめ漁業が発展していきました。また、木材を切り出し、大阪などへも運んでいます。
和人が増加する一方、疫病や労働のためアイヌは離散、減少していきました。
「恵山」は今も噴気中の火山で、1783年に初めて硫黄が採取されました。
福山の藤七、理三郎らでしたが、その3年前にも白鳥新十郎という者が行っていたようです。
1856年に箱館奉行所が武器製造のため、製鉄業を計画し、武田斐三郎に命じて設計・考案させ、古武井に1859年に高炉を完成。
しかし、3年後に暴風で大破、成果を上げないうちに断念しました。
恵山道立自然公園に指定
温泉は安政年間に開かれたといいます。
明治7年、恵山山頂に温泉を開いたという人がおり、また、昭和初期までは火口原に旅館があり、代表的な地獄温泉の一つでした。
昭和36年に恵山道立自然公園に指定され、遊歩道にはエゾマツツツジなどが咲き観光地になっています。