静御前が乙部まで追ってきていた。知る由もない義経は、乙部岳を越え…絶望した静御前は川に身を投げた。義経と逢えずに待ちわびた峠を”姫待ち峠”、 乙部岳を”九郎岳”、 ここから流れ出る川を”姫川”と呼んだ。
その昔、九郎半官義経が兄頼朝の追討を逃れ、乙部に蝦夷地で最初の足跡を残しました。乙部には地名としてその逸話が刻まれています。
乙部岳は義経の別名九郎半官から九郎岳、静御前を思いつつも越えなければならなかった峠は姫待峠と呼ばれています。
また義経を追って乙部にたどり着いた静御前ですが、義経はすでに乙部岳を越え、2人は会うことが出来ませんでした。
悲嘆にくれた静御前は、川に移った自分の姿を見て、もうこの世に生きながらえる望みも力も失ったと、その川に身を投げてしまいました。そしてこの川を姫川と呼ぶようになったのです。