(年表)1893年・明治26年<北海道集治監十勝分監>

昨日の明治27年と、本日の26年が逆になります。

明治26年に設置されていた釧路分監帯広出張所が、明治28年に北海道
集治監十勝分監に昇格。
明治36年十勝監獄として独立改称し、囚徒数1,300名を収容していました。
十勝地方の開拓のために設置され、2年間で数百haを開墾したといいます。

また石狩から十勝への縦貫道路の建設狩勝峠開鑿も囚人を使役して行われました。
明治36年に十勝監獄と改称され、大正9年の庁舎焼失後に規模を縮小し、その後広大な監獄用地は払い下げられ、今は緑ヶ丘公園内に「十勝監獄跡」の石碑と油庫のみが残されています。

 
1893年(明治26年)  
3月25日 大阪・神戸間の電話開通  
5月

現北竜町に千葉県の団体入植。明治32年に雨竜町から行政区を分離し、戸長役場を置き北竜町と称した。

明治26年5月に、札幌で阿由葉宗三郎により雑誌「北海民燈」が創刊され、その後日刊紙となりました。
翌年に本社が小樽に移り、紙名も「小樽新聞」に改名それました。

7月11日 御木本幸吉真珠の養殖に成功 
8月1日 「 大谷地簡易教習所 」設置 月寒村と白石村の組合立の学校
8月12日 君が代、祝日大祭日の唱歌に(正式発布) 
9月11日 富岡製糸場を三井に払下げ 
釧路分監帯広出張所
角田村(現在の栗山町)・長沼村とともに、由仁村に併合される。