大正6年、天塩軌道会社創立発起人の大久保虎吉らによって士別―上士別間の馬車軌道敷設が出願されました。
士別御料地に属していた天塩川上流地域の山林は、明治末期から大量の良材が伐採されていました。
大正8年に下付され8月に工事は着手され、翌年6月に士別―上士間(14.5キロ)が単線で開通し営業が開始さます。
次いで、上士別以遠の延長工事に着手し、大正14年6月には上士別―奥士別間(現・朝日町中央)6.9キロが開通。
士別軌道は設立当初、木材輸送を主目的としていましたが、奥地開発の進展に伴い農産物や日曜雑貨の輸送・旅客が増加し、馬力から蒸気に変更、昭和3年9月に蒸気機関車4両、貨車50両を導入。
士別―奥士別(21.4キロ)の所要時間1時間40分。
更に、天塩川上流の国有林を管理する帝室林野管理局によって昭和5年以降、総延長51.4キロの森林鉄道を奥士別を基点にして敷設されました。
その森林鉄道の貨車は士別軌道に乗り入れて士別へ輸送されたので、士別は木材の集散地として発展。
営林局経営の森林鉄道が昭和33年に廃止となり、士別軌道も撤退し34年10月には軌道をバス事業に転換しました。
写真は上士別に入植した岐阜県民(北海道博物館で写しました)