小説家・島木健作生誕碑 ー札幌市

島木 健作(しまき けんさく)
1903年(明治36年)9月7日 – 1945年(昭和20年)8月17日
小説家。本名は朝倉 菊雄。

現在の札幌市中央区北1条西10丁目の一角で生まれました。2歳で父と死別、高等小学校を中退、銀行の給仕・玄関番などをしながら苦学西創成小学校、私立北海中学校などに学び、北海道拓殖銀行や北大付属図書館にも勤めました。

旧制北海中学を卒業していますが、同期に北朝鮮拉致被害者である横田めぐみさんの祖父横田庄八さんがおりました。1925年東北帝国大学法学部の選科に入学。入学後間もなく東北学連に加盟、中心人物として仙台初の労働組合の結成にも携わる。

学生運動から始まって、労働組合の結成や農民運動への参加、日本共産党への入党などの左翼活動に従事していたことから検挙されましたが、その後自ら転向を表明してその経験を文学の形で残しました。20代で肺病を患い、敗戦直後の昭和20年8月17日に鎌倉で亡くなりました。42歳でした。

<北方人の血と運命>を一身に背負い、昭和10年代に「生活の探求」「赤蛙」等の日本の文学史に残る優れた小説を発表。「嵐のなか」「北方の魂」「礎」「土地」の諸作では故郷の風土を残しています。