高橋掬太郎歌碑ー函館市
高田屋嘉兵衛の銅像が建つ護国神社坂宝来町グリーンベルトの入口に高橋掬太郎歌碑があります。
酒は涙か 溜息か 心のうさの 捨てどころ
高橋掬太郎は、大正11年(1922年)年函館日日新聞社に入社し、社会部長兼学芸部長として活躍するかたわら、詩や小説、脚本などを手がけていました。
昭和6年「酒は涙か溜息か…」の歌詞をコロムビアレコードに投稿して採用され、古賀政男が作曲、藤山一郎が歌って大ヒットした。
昭和8年(1933年)、コロムビアレコード専属作詞家となり、のちにキングレコードに移り、昭和45年(1970年)4月、69歳で他界するまでに約3千の作詩をしています。
この碑は、函館で生まれた「酒は涙か溜息か…」を永く記念するため、昭和36年、有志により同じ宝来町内にあった温泉敷地内に建てられましたが、平成10年(1998年)4月に現在の場所に移設されたもので、碑文は掬太郎の真筆です。