蟹工船 ー函館港

函館港は北洋漁港の基地でした。
戦前、蟹工船は北洋漁業の監獄部屋といわれていました。

「『おい地獄さ行ぐんだで! 』、二人はデッキの手すりに寄りかかって、蝸牛が背のびをしたように延びて、海を抱え込んでいる函館の街を見ていた。
漁夫は指元まで吸ひつくした煙草を唾と一緒に捨てた。/彼は身體一杯酒臭かった」

これは小林多喜二の「蟹工船」のはじまりです。
多喜二は昭和2年3月以来、この作品を書くために土曜日から日曜にかけて、小樽から函館に足を運び、友人乗富道夫の援助を受けて調査は進みました。

初版本の付記には、最後に次のように記しています。

この一編は、「植民地に於ける資本主義侵入史」の一頁である。
               1929(昭和4年)・3・30