知里真志保顕彰碑ー登別町

真志保の姉が「アイヌ神謡集」の知里幸恵です。

碑には「銀のしずく 降れ降れ まわりに」と刻まれています。

旧制室蘭中学校から一高、東京帝国大学へと進学。その間に言語学者の金田一京助と出会い、アイヌ語研究を志します。樺太庁博物館の技術員や北海道大学の教員として研究を進め、『分類アイヌ語辞典』など多くの業績をのこし、その研究は今も多くの研究者に影響を与えています。
アイヌに対する差別や、アイヌ研究のなかの誤りや杜撰さを強く批判し、その存在と主張は多くのアイヌにとっての精神的支柱にもなりました。
友人でアイヌ語地名研究者の山田秀三との共同研究など様々な研究を進めましたが、病のため52歳で亡くなりました。

知里博士は山田秀三氏とコンビで各地のアイヌ語地名を読み解いてきた事でも知られ、地名ファンの為に書かれたアイヌ語入門と地名アイヌ語小辞典は隠れたベストセラー。

碑文1
『知里眞志保略歴 明治42年幌別郡に生る。登別小学校、室蘭中学校、第一高等学校、東大卒業、文学博士、北大教授、東大講師となる。分類アイヌ語辞典そのた数々の不朽の名著が後の世に残った。昭和36年札幌にて没 52歳』 

碑文2
『彼は登別川のほとりで育ったアイヌ系の腕白な少年であった。長じて天才的な言語学者となり、その名は今に世の畏敬の的である。故郷をしのび海の見える丘に住みたいと云っていたという。有志相はかり、ここハシナウシを選びこの碑を建てた。友人 山田秀三』

※碑は碑文にあるように太平洋と生まれ育った登別川をのぞむ丘に建立しましたが、平成8年9月に彼が学んだ登別小学校の前に移設されています。
◇建立年:昭和48年6月9日 ◇移転年:平成8年9月 ◇建立者:知里眞志保之碑建立委員会 ◇所在地:登別市登別本町3丁目25番地3