重兼芳子「やまあいの煙」ー上砂川町
奈井江町から上砂川町~歌志内市へと道道114号が通じています。この道は炭砿の街として栄えた土地で、工鉱業の盛んな砂川市から石炭の運搬を主目的とした鉄道が走っていました。
上砂川駅までは函館本線砂川駅からの分線で、もう一つは歌志内線でした。
昭和54年、「やまあいの煙」で芥川賞を得た重兼芳子は昭和2年(1927年)に三井砂川鉱業所の職員住宅で生まれました。
上砂川三井小学校で学びますが、「見えすぎた眼」は小学生の少女の眼を通した炭砿のありようと、職員の子と坑夫の子の差別を描いた自伝的小説でした。
その一節を紹介します。
「社宅はなだらかな丘を切り拓いてつくられた台地に建っている。鉱業所の本部や炭砿の現場とは、水の流れない涸れ沢によってへだてられている。かんこ沢と呼ばれていた」
「かんこ沢の隣に、四軒続きの社宅が何列か続き、それから二軒続きになる。和子と正一が生まれたのは、二軒続きの社宅である。それから一戸建ての小、中、大と何列か続き、最も大きい一戸建てが所長社宅であった」
「愛しき日々よ」
昭和59年(1984)、重兼芳子の『やまあいの煙』を「愛しき日々よ」の題名で映画化。保坂延彦が脚色・監督。
歌手のもんたよしのりが門田頼命名義で映画初出演を果たし、音楽も担当。
瀬戸内海の島を舞台に、火葬場で働く青年の姿を通して、人の死、母子相姦、老人問題などを描きます。30歳になる瀬川敏夫は、岡山県前島の火葬場で働いています。毎日、仕事場に出ると、まず丹念にかまの掃除・点検をし、全身を塩で清め、仏様が来るのを待つ日々。
恋人の小野正子は、老人専門病院で働く明るい性格を持った女性で、彼は結婚も考えていましたが、自分の仕事を正子に十分理解してもらえるかどうか自信がなく、なかなか切り出せず...。