北見国道ー網走市

網走刑務所ができたのは明治23年ですが、目的は北見道路「網走ー北見峠」を開削する労働力として釧路監獄暑(標茶町)の囚人を使役するためでした。

「北海道の歴史散歩」には、次のように書かれています。

「北見道路は、軍用道路としてその完成がいそがれた。当時ロシア帝国の南下政策は急をつげ、シベリア鉄道が計画された。ウラジオストックを基地に、天塩・北見海岸への上陸をおそれた明治政府は、『一日おくれれば、一日ロシアにひけをとる』として、北見道路の年内完成を、大井上輝前典獄(刑務所長)に厳命した。年間40㌔が最高の道路工事を、年内160㌔完成とは、じつに四倍のノルマだった。
北見道路づくりの囚人労働は悲惨をきわめ、死者はじつに212名に達した。二人ずつ足を連鎖でしばられた囚人の血と汗でつくられた北見道路は、陸の孤島だった内陸部北見を外とむすんだ初の交通路で、人よんで“囚人道路”といった」