熊害慰霊碑ー苫前町

北日本海の小平町北部が苫前町です。
この海沿いの町から国道239号で内陸に向かうと古丹別地区があり、古丹別から南に40㌔ほど下ったところが三渓地区で山の突き当りになります。
ここが日本熊害史上最大の惨事といわれる「三毛別熊事件」が起きた場所です。

大正4年12月、350㌔の大熊が苫前村三毛別御料農地の15戸の開拓部落を襲い、妊婦や子供を含む男女6人が食い殺されました。

この事件を小説として取り上げた作家がおります。
年代順に、寒川光太郎「羆王物語」、戸川幸夫「羆風」、吉村昭「羆嵐」です。
吉村昭の「羆嵐」については、
苫前町の旅(三毛別事件) に書いているので関連して読んでください。

ここでは動物作家らしい視点で書かれた戸川幸夫の羆風からを紹介します。

「ここは俺の領土だ。俺が生まれ、俺が育ち、俺が支配し、誰からも侵害されなかった土地だ」(俺とは羆)と脱出することはしなかった。いや、怖れることはなく連日にわたり空になった農家を襲い、川上から川下へと彼の怒りは嵐となって吹き荒れた。
追跡者の先頭には、鬼鹿村オンネ(小平町)の住人で鉄砲にかけては天塩国てしおのくにでこの者にまさる狩人はいないだろうと言われている“宗谷の兄ンちゃん”という 名の65歳の老人がいた。薄氷の渓流をはさんで袈裟掛けと名人との対決ー袈裟掛けの方から吹いて雪煙が立ち上り、それが王者の姿を包みこんでシルエットを浮き彫りにした」

吉村昭の「羆嵐」は、昭和55年にラジオとテレビでドラマ化されました。
ラジオで脚色したのは倉本聰でした。

事件が起きた時に7歳であった大川春義は、これを契機に羆撃ちになります。
大川はその後102頭の羆を、この6線沢界隈で撃ち、彼の自宅近くの三渓神社境内に「熊害慰霊碑」が昭和52年7月5日に建立されました。
その近くに、開拓農家を襲った事件現場が再現されています。