「重蔵ら一行は往復とも大平洋岸を通ったが、そのうち様似・幌泉・広尾間は有名な難所だった。寛政十年六月十日、いよいよ様似を発つ。
荷馬を捨てた一行は、前途への隠しきれぬ恐怖を胸に襟裳岬へ向かって一歩を踏み出した。ようやく海中へおよそ二、三里突き出している襟裳の出崎をまわって東の海岸・百人浜へ出ることができた。
荒涼とした百人浜の波打ち際からは、これまでとは逆方向に北を目指して歩く。
庄野を過ぎると咲梅の海岸は難所で、冬は歩行困難の漁場となる。
以下、岩嘴 を越えて猿留にたどり着き、難行苦行の末に広尾へたどり着く。
重蔵は、この初行で苦難さを知り、私費で山道を開削した」