斎藤一男「北の雷鳴ー近藤重蔵の生涯」ー襟裳町

斎藤一男 1925年(大正14)生まれ   東京生まれ。登山家、山岳文化研究者。

(財)自然公園美化管理財団理事、(財)日本体育協会評議員、国際山岳連盟名誉会員(アジアで最初)、(社)日本山岳協会会長、日本山岳文化学会初代会長など

 

 

 

「重蔵ら一行は往復とも大平洋岸を通ったが、そのうち様似・幌泉・広尾間は有名な難所だった。寛政十年六月十日、いよいよ様似を発つ。
荷馬を捨てた一行は、前途への隠しきれぬ恐怖を胸に襟裳岬へ向かって一歩を踏み出した。ようやく海中へおよそ二、三里突き出している襟裳の出崎をまわって東の海岸・百人浜へ出ることができた。

荒涼とした百人浜の波打ち際からは、これまでとは逆方向に北を目指して歩く。
庄野を過ぎると咲梅さくばいの海岸は難所で、冬は歩行困難の漁場となる。
以下、岩嘴 を越えて猿留さるるにたどり着き、難行苦行の末に広尾へたどり着く。

重蔵は、この初行で苦難さを知り、私費で山道を開削した」