大鹿卓「金山」ー雄武町
大鹿 卓(おおしか たく)
1898年 – 1959年 昭和時代の詩人,小説家。
愛知県海部郡津島町(現:津島市)生まれ。
本名は大鹿 秀三(ひでぞう)。
金子光晴の実弟。京都帝国大学経済学部中退、秋田鉱山専門学校卒業。
化学教師を務めながら詩を書き「野蛮人」で『中央公論』懸賞小説二席。
昭和17年「渡良瀬川」で新潮社文芸賞。以後も「谷中村事件」などで足尾鉱毒事件を追った。昭和34年2月1日死去。60歳。
「岡本らが北海道に渡ったのは、支那事変下の昭和12年11月であった。札幌を経て、現地へ。
名寄が近づく頃、雨はいつか雪に変わって、どす黒いトド松の原始林が白い粉で煙るのを見た。彼らは名寄で遠軽行き(名寄本線)に乗り換え、北見山脈を越えてゆくのだった。
その日の夜が炭酸紙のように車窓に貼りつく頃、彼らはまた支線(興浜南線)に乗り換えた。貨車と貨車との間に、わずか二輛の客車がついているきりだった。
終駅のH(雄武)で降りた人は余り多くなかった。切符を渡して改札口を出ると、なにか野中へ放り出されたかんじだった。駅前の家並は疎らで、闇の重味に堪えかねるように低く棟を伏せていた」