小檜山博「ぼくのなかの村」ー滝上町

小檜山 博(こひやま はく)
1937年 –  小説家。本名は「博」を「ひろし」。
元神田日勝記念美術館館長。元北海道教育大学特任教授。札幌市在住。

北海道滝上町生まれ。苫小牧工業高等学校電気科卒業。高校卒業後、北海道新聞社に勤務する傍ら執筆活動を開始。「文學界」、「新潮」、「すばる」等の文芸誌にて作品を発表するほか、「北方文芸」などで同人活動を行う。1976年に発表した『出刃』が第1回北方文芸賞を受賞。第75回芥川賞候補となったのを皮切りに、本格的な作家活動に乗り出す。1983年、『光る女』が第17回北海道新聞文学賞・第11回泉鏡花文学賞を受賞。
1987年、『光る女』は相米慎二によって映画化され、キネマ旬報ベストテン第9位になった。

「13歳まで、ぼくは深い谷間の村で育ちました。オホーツク海から十里も山奥にある滝上の、さらに三里以上も沢を登った雄柏でした。
山と山の幅が300メートルくらいしかない、奥行き四里ほどの沢で、50メートルおきくらいに家がありました。
明治の終わりから昭和の初期にかけて四国、新潟、福島などから入植してきた人たちで、どこの家も七人から十人の大家族でした。

ぼくは六人兄弟の五番目に生まれました。五歳のころ、父母はまだ山ぎわの雑木林の木を切り倒して根っ株を掘り起こし、畑地を作りつづけていました。木材が豊富で、村の山奥から滝上のマチ場まで森林鉄道が敷かれ、ボオルドウインというアメリカ製の西部劇に出てくるような煙突の汽車が走っていました」