有島武郎「カインの末裔」ーニセコ町

現在のニセコ駅

大正5年、妻と父を相次いで亡くした有島は、文学者の道を決意。
翌6年に発表したのが「カインの末裔」で、文壇の地位を確立しますが、北海道文学の金字塔でもあります。
更に、翌7年には「生まれ出づる悩み」を発表。いずれも、当時狩太(かりぶと)と云われていた現在のニセコが舞台でした。

「カインの末裔」の書き出しです。

「長い影を地にひいて、痩馬やせうまの手綱を取りながら、彼は黙りこくって歩いた。大きな汚い風呂敷包みと一緒に、章魚たこのように頭ばかり大きい赤坊をおぶった彼の妻は、少し跛脚ちんばをひきながら三四間も離れて後からとぼとぼとついて行った。
北海道の冬は空まで逼っていた。蝦夷富士と云われるマッカヌプリの麓に続く胆振いぶり(国)の大草原を、日本海から内浦湾に吹き抜ける西風が、打寄せる紆涛うねりのように跡から跡から吹き払って行った。寒い風だ。見上げると八合目まで雪になったマッカヌプリは少し頭を前にこごめて風に刃向いながら黙ったまま突っ立って居た。
昆布獄の斜面に小さく集まった雲の塊を眼がけて日は沈みかかっていた。草原の上には一本の樹木も生えていなかった。心細い程真直な一筋道を彼と彼の妻だけが、よろよろと二本の木立のように動いて行った」

昆布獄とは、昆布岳のことと思います。