なかにし礼「兄弟」ー増毛町
なかにし 礼(なかにし れい) 1938年〈昭和13年〉 – 2020年〈令和2年〉
小説家、作詞家。本名は中西 禮三(なかにし れいぞう)。
1938年(昭和13年)9月2日、満州国の現在の黒竜江省で生まれる。元は小樽市に在住していた両親は、渡満して酒造業で成功を収めていた。終戦後、満州からの引き揚げでは家族とともに何度も命の危険に遭遇、この体験は以後の活動に大きな影響を与えた。実兄は立大から学徒出陣として陸軍に入隊し、特別操縦見習士官として特攻隊に配属されたが終戦となった。
8歳の時に小樽に戻るが、兄の事業の失敗などで小学校は東京と青森で育ち、中学から品川区大井町に落ち着く。東京都立九段高等学校卒業後、1958年に立教大学文学部英文科に入学。中退と再入学と転科を経て、1965年に立教大学文学部仏文科を卒業する(立教仏文の第1期生)。
大学在学中に最初の妻と結婚。一女をもうけ、1968年に離婚。
作詞家なかにし礼の自伝的小説。16年間絶縁状態だった兄の死を「兄さん、死んでくれてありがとう」と呟くところから始まる。何億という借金を肩代わりするなど迷惑をかけられ続けた弟・なかにし礼。その愛憎と葛藤を描いた小説です。その中で、ニシンの漁獲の光景が書かれてあります。
「増毛の浜は、北は阿分から南の雄冬までの長い海岸線のめぼしいところを百ケ統以上仕切られている。夜空を焦がし、雪を解かして篝火が燃えていた。
左は箸別の岬から右は舎熊の突端までおよそ2キロにわたり、天辺の台の上に乗った鉄籠の中で薪が勢いよく燃え、一つ二つの鰊番屋がぼんやり浮かんで見える。私はあまりの美しさに息もできなかった。
遂に、銀色の小山がうねりながら打ち寄せてきた。ニシンの鱗がきらきらと海の中で光る。ニシンの群れは幅百メートルもあろうかという大きな白銀の波となって迫ってきた。来る、来る、またすぐ来る。物凄い地鳴りだ。まるで地震だ。
立っていられない。来た! 来たじゃないか兄さん! 私の目から涙がふきだした。
船頭が高々とむしろ旗をあげた。入った! 入ったのだ! 浜全体がうおーっという勝鬨をうなりあげた。」